ライクワークとライフワークの違い~私にとっての音楽とは~
最近よく聞く「ライクワーク」や「ライフワーク」といった言葉。
それぞれの意味は、一般的に次のような内容とされているようです。
- 「ライクワーク」とは、好きな仕事
- 「ライフワーク」とは、人生をかけた仕事
が、私には違いがわからず、ピンときませんでした。
なぜなら、
- 好きなことだからこそ、人生をかけてやれるのではないか?
- 人生をかけているからこそ、好きなことなのではないか?
という疑問が湧いてきたから。
今回は、そんな私と同じ疑問を持ったであろう、あなたのために、
- ライクワークとライフワークをどのように考えるべきなのか
という点について、実例(私(音楽)の場合)を踏まえ、考えるところを述べてみたいと思います。
1.ライクワークの「ライク」(好き)とは
1-1.「ライク」(好き)の意味と論点
冒頭述べたように、「ライクワーク」というのは、好きな仕事。
「好き」って何でしょうか?
ということを考えようとしたのですが、難しいので、代わりに
「好きなこと」とは何か
という問題を考えることにします。
色んな切り口があると思いますが、次の3つに集約されるのではないでしょうか?
- ついつい考えてしまうこと
- ついついやってしまうこと
- やっていてポジティヴな気分になれること(楽しい、すがすがしい、満足感を得る、など)
内容的にはこれでよいと思うのですが、別の問題があります。
それは「時間」と「要素」です。
まずは「時間」について。
- 「前はあれほど好きだったのに、今はそうでもない」
- 「好きという気持ちの浮き沈みが激しい」
ということはありませんか?
日々環境、体調、気分が変化しますから、その時々によって、「好き」の程度が変わってくることがあると思います。
次に「要素」の問題。
- 「この作業は好きだがあの作業は嫌いだ(しんどい)な」
- 「この部分は好きだけどあの部分は苦手だな」
ということもあるのではないでしょうか?
こうした「時間」、「要素」の問題もあって、一口に「好きなこと」といっても、それが何であるのか、見分けるのは難しそうです。
結局は、総合的、平均的に考えて判断することになるかと思います。
1-2.私(音楽)の場合
自分の例で考えてみます。
私の場合、一年を通して「音楽が関係しない日」というものがありません(数えたことがないですが多分)。
音楽について考えたり、楽曲構想を練ったり、楽曲音源を作ったり、ギターを弾いたり、歌ったり、などなど・・・
ですが、その気分や活動量には浮き沈みがあります。
それほどモチベーションが上がらなかったり、時間を割かなかったり。
時間については「割けない」という物理的制約もあったりしますが・・・
また、「音楽」に関する作業全てが好きなことだけかというと、そうでもありません。
苦しいことといえば、
- 楽曲音源を仕上げること(特に調整、補正作業)
- 各工程で判断、決断すること
これらは心身リソースを大量に消費します。
もちろん、これらの作業を乗り切れば納得のいく音源が仕上がるとわかっているからこそ、納得のいく音源が仕上がったときの幸福感が何ものにも代えがたいからこそ、こうした作業に取り組むわけですが、
作業の最中に「正直しんどいな」と思うこともしばしばあります。
ですが、これらプラス要素、マイナス要素を総合して考えると、やはりプラスにはなるので、
総合的、平均的には「好き」といえるかな~
といえるレベルであり、私にとって音楽は「ライクワーク」といっても間違いではなさそうです。
2.「ライフワーク」の定義とは
2-1.「ライフワーク」を考える上での論点
冒頭述べたように、「ライフワーク」というのは、人生をかけた仕事。
なので、やはり「長年やっていること、やっていくこと」というイメージがあります。
が、それだけであれば、わざわざ「ライフワーク」と呼んだりはしないと思います。
というのも、
例えば生活のためだけの仕事(これを「ライスワーク」と呼んだりしますが)を数十年続けている人が、それを「ライフワーク」と呼ぶケースはほとんどないはずです(知らないだけかもしれませんが)。
やはり「ライフワーク」と呼ぶからには、そこに「ライク」(好き)の要素があるのではないでしょうか?
「いやいや、好きというより、使命感でやっているんだ」
という声も出てきそうですが、そのような使命感に基づいてそれをすることそのものを好いているからこそ、そのように動けるわけで、心から欲していなければ普通、そこまで使命感を持って動けません。
その意味で「ライフワーク」は「ライクワーク」の一形態である、といえるでしょう。
つまり
「ライフワーク」なら「ライクワーク」
といえると。
ただし、その逆「ライクワーク」なら「ライフワーク」というのは必ずしも成り立ちません。
「ライク(好き)」だからといって、それが全て「人生をかける」ほどのものとは限らないからです。
さて、最初の「長年やっていること、やっていくこと」という論点に戻ります。
実績数十年など、明らかに「長年やってきた」といえるものであれば「ライフワーク」認定できそうですが、これからやることに対して、どういう条件であれば「ライフワーク」といえるのかは不透明に思えるかもしれません。
全て実績ベースで定義するとなれば、経験のない若い人には「ライフワーク」が存在しないということになります。
「それはそれでよい」という考えもあると思いますが、個人的にはちょっと違和感があります。
経験のない若い人でも「これからこの方向で進んでいくぞ」という、人生をかけたような決意はあるはずですからね。
なるほど、決意時点では、本当に(人生をかけて)長年続けられるのかどうかはわかりません。
決意した次の日にやめてしまうかもしれません。
そんなものを(決意時点で)「ライフワーク」などと呼んでよいものか。
しかし、その瞬間には彼にとって「永遠」なわけです。
となれば、そうしたものを「ライフワーク」と呼んでもよいと思うのです。
また、一口に「続ける」といっても、その「連続性」も問題になるかもしれません。
長い人生、一時的に活動休止したり、別のことをやったりすることもあるでしょう。
一度停止したものを「続けている」と称してよいものか・・・
ですが、世の中には「断続」という言葉もあります。
途切れ途切れ続いていくというニュアンスの・・・
個人的には「断続」は「継続」の一形態と考えています。
広い意味での継続。
例えば、
「ずっと音楽をやっている」
という人でも、食事や睡眠のときには、音楽を中断している(音楽をやってはいない)はずです。
食事や睡眠のときの「中断」と、活動休止のときの「中断」とどれほどの差があるのか。
単に、手を止める時間の長さだけの問題ではないでしょうか?
活動休止して、最後まで再開しなければ「やめた」となり、再開すれば「続けている」となる・・・
もし、大昔に始めたことで、途中中断したことがあったとしても、再開して続けているのであれば、「長年やってきた」ことに入ると思います。
2-2.私(音楽)の場合
幼少の頃にピアノを習い、途中でギターを手にし、ポップロック系の曲を作り始める・・・
年数でいうと、
- ギターを弾き始めて約21年
- ポップロック系の曲を作り始めて約21年
- DAWソフトを購入してDTMで本格的に楽曲制作を始めて約9年
となります。
断続的なところもありますが、そこそこ長いです。
また、先ほど述べた、「ライフワーク」であれば「ライクワーク」である、という点ですが、1-2で、私にとって音楽が「ライクワーク」であることは既に述べました。
なので、長年やっている「ライクワーク」という意味で、私にとって音楽は「ライフワーク」である、といえそうです。
3.結論
さて、ここまでで「ライクワーク」と「ライフワーク」を個別にみてきましたが、そろそろ両者の違いについて、結論をまとめましょう。
まずは両者の関係について。
- 「ライフワーク」であれば「ライクワーク」である
- 「ライクワーク」だからといって「ライフワーク」とは限らない
「ライフワーク」は「ライクワーク」の一形態、ということです(私個人の解釈)。
続いて両者の内容です。
- 気分の浮き沈みや、部分的な苦しみがあっても、トータルでプラス評価であれば「ライクワーク」
- たとえ「好き」でも、「ずっとやっていたい」というほどのものでなければ、(「ライフワーク」ではない)「ライクワーク」
- たとえ断続的でも、ずっと続けてきた「ライクワーク」であれば「ライフワーク」
- 今その瞬間にでも「これをずっとやっていたい」と思えるぐらいの「ライクワーク」であれば(少なくともその時点での)「ライフワーク」
両者を分けるポイントは、「継続」の実績、または意思があるかどうか、というところです(私個人の解釈)。
以上の考察を踏まえると、結局、冒頭に挙げた
- 好きなことだからこそ、人生をかけてやれるのではないか?
- 人生をかけているからこそ、好きなことなのではないか?
という問いに対する答えとしては、
「半分Yes」
ということになります。
好きなことだからといって、必ずしも人生をかけられるとは限りませんが、
人生をかけてやれること、人生をかけていることという時点で、少なくとも平均的、総合的にみて「好きなこと」(そのモチベーションの源泉が使命感であるにせよ、幸福感であるにせよ)なのだと思います。
長くなりました。
今回のこの記事が、「ライクワーク」と「ライフワーク」の違いについて考えるヒントとして役立てば幸いです。